風葬など様々な別れ方

風葬などでのお別れ

南国のリゾート地から少し離れたところでは、風葬が行われているという噂が残っているようです。
故人が、使っていた愛用品も隣に置かれているらしいです。
命をなくした肉体を風に委ねるということでしょうが、そこは、人の肉体であるから、布を被せてはいるようですね。

実際に、見たことはないのですが、富士山の樹海などで絶命された方は、他者の手を煩わせることなく、風葬となっているのが実情ではないでしょうか。
日本で風葬を希望しても、法律や風習などの縛りで、実現できないのは現実です。
かといって、風葬目的で樹海に漂うということをするのは自殺願望の方ではないでしょうか。

自死を避難するつもりは全くないのですが、残された方が、どのように解釈し自死を受け止めることができるのかが重要だとも思いますね、私は。

風にのってのお別れ、次の世界へ

もしも、「生まれかわったら、風になりたい」と思うこともある私です。かといって、遺族に散骨を希望するというのは、また別の話です。風に乗って旅をし続けたいという思いだけの話です。パラグライダーのようなスポーツをしたいと思ったこともあるのですが、なかなか実現するまでのエネルギーがなく思いだけに至っております。
今、身を置いている場所が窮屈で、自分だけの力や行動では、どうにもならない場面などで、人は鳥になりたいと思うような気がします。
それは、自由になりたいという願望の表れではないでしょうか。成し遂げたいことがある時の弊害や、障壁を感じる時など、人には色んな感情や心情があるでしょう。自由になるということは現実にはできなくても、気持ちの中で自由になることはできるのですがね。